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アコード農産代表あいさつ

この度はアコード農産Webサイトにお越しいただき、まことにありがとうございます。
私たちは北海道のとある小さなまちで、米・じゃがいも・にんじん・大豆・小豆を生産しています。

かんたんではございますが、アコード農産の歴史と今後のビジョンをあいさつ代わりに投稿したいと思います。
お時間がありましたら、お付き合いいただければ幸いです。

目次

アコード農産の歴史

アコード農産一代目 開拓民、未開の地へ

アコード農産の創始者は、明治時代に岐阜県からはるばる北の大地へとやってきた開拓民でした。

創始者が移り住んだのは、山と緑に囲まれた風光明媚な未開の地。
川のほとりに居を構え、日々開拓作業に明け暮れました。

清らかな水と肥沃な大地は雪解けとともに目を醒まし、秋には多くの実りをもたらしてくれます。
そのことに気付いた創始者は、この土地で農業をはじめます。

故郷から離れ、ふと心に寂しい気持ちが湧き上がったことでしょう。
しかし、豊かな自然と開拓民仲間の存在、そして「この土地を自分たちで切り拓く」という強い意志が、創始者の心の支えになったのかもしれません。

アコード農産二代目 自然の力は敵にも味方にもなる

アコード農産の二代目―――私の曽祖父の時代は、ときに自然の驚異に悩まされたと聞きました。
たび重なる洪水に、当時飼っていた家畜を避難させるのに苦労したそうです。

まだトラクターがない時代、馬や牛は大切なパートナーでした。
家族として接し、手塩にかけて育て上げ、曽祖父とともに泥にまみれながら朝から晩まで働きました。

その頃の苦労と、アコード農産を支えてくれたパートナーたちへの感謝を忘れないために、今でも年に数回農場近くの牛魂碑・馬頭観音への参拝を行っています。

アコード農産三代目 機械化のはじまり

私の祖父が経営を受け継いだ当時は、まだ馬や牛たちの力を借り、田植えや稲刈りなどの節目には多くの人の協力が欠かせない時代でした。

その後、ついにアコード農産にも機械化の波が訪れます。
インターナショナル・ハーベスター(IH)の真っ赤なトラクターが祖父の相棒となりました。
長年アコード農産の田畑を耕し、冬には敷地内の除雪作業にも使われました。

ピカピカだったトラクターも太陽の光と雨風に晒され、手放す頃にはすっかり色褪せてしまいました。
しかし、その外観の変化は、アコード農産の歴史そのものと言っても過言ではありません。

家畜も農機具も、なくてはならない存在。
現在所有している農機具は、オフシーズンに自分たちで手入れを行っています。

アコード農産四代目 父の背中は広かった

なぜ私が農業を生業とし、そして経営を受け継いだのか。
その理由は、先代である父との数々の思い出の中にあります。

毎年5月の、世の中はゴールデンウィークの時期。
テレビではレジャーを楽しむ人がインタビューを受ける中、父は夜を徹して田おこし・代かきの作業を行っていました。
真っ暗闇の中、トラクターの明かりだけが灯る。
ひとり黙々と作業を続ける父を案じ、眠れなかった記憶があります。

歩行田植機の育苗箱を載せる棚の上に、まだ幼い私や弟、姉を乗せて田植えをしたこともあります。
今では乗用田植機が主流になり、歩行田植機は見かけなくなりました。
しかし、あの歩行田植機の棚の上から見た眺めは今でも忘れられません。

父と農業に関するエピソードはまだまだありますが、長くなってしまいそうなので今回はこれにて。

アコード農産のため、地域のため、東奔西走する父の背中は広かった。
そう感じていたはずなのに、いつしか私もいわゆる「働き盛りの世代」となりました。
ふと気がつけば、あれだけ広く感じた父の背中も寄る年波には勝てず…。

アコード農産五代目 「次は俺の番」

先代と何度も相談し、お互いの考えを残すことなく出し合い、そして2020年春。
正式に経営を受け継ぎ、現在は父と母・4人の従業員、大掛かりな作業のときは離れて暮らす弟と自称パラレルノーカーの姉の力を借りて作業を行っています。

現在のアコード農産は、創始者から先代までの努力の上に成り立っています。
そして、力を貸してくださった方々、馬や牛たちの尊い命、次々生み出される先進技術のおかげで今があります。

「次は俺の番」
歴史と責任の重み、そして身の引き締まる思いを感じています。

収穫の喜びをシェアしたい

家畜・人の手から機械化、そしてスマート農業の時代へ。
先代たちが創り上げたものを踏襲しつつ、自分にしかできない農業のあり方を求めて日々努力と研究を重ねています。

ところで、みなさんは「農業」にどんなイメージをお持ちですか?
日に灼けて泥と汗にまみれ、とにかくキツい。
どちらかというと、マイナスイメージを抱いていらっしゃる方のほうが大多数かもしれませんね。

たしかに、農作業は大変です。
日に灼けるし、泥んこにもなるし、汗もかく。
しかし、苦労した分、収穫の喜びは大きくなります。

アコード農産の歴史の中で、自分にしかできない農業のあり方とは。
私たちが生産した農産物と収穫の喜びを、ひとりでも多くの方とシェアすることではないか?という考えにたどり着きました。

2018年から、Instagramをはじめました。

おかげさまで、多くの方からフォロー・いいねをいただいております。

そしてこの度、さらに多くの方と収穫の喜びをシェアしたいと考え、アコード農産Webサイトを開設いたしました。

私たちの活動を通して「農業っていいね」と前向きなイメージを感じていただけたら、私たちが感じた収穫の喜びをシェアできたら、うれしく思います。

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この記事を書いた人

北海道のとある小さなまちで、米・馬鈴薯・人参・大豆・小豆を生産しています。

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